2013年4月28日日曜日

高山博「歴史学 未来へのまなざし」より



38頁より抜粋

異なる文化の担い手たちは、自らの属する文化と他の文化を融合させることなく、おのおのの棲み分け領域を守り続けていた。このような異文化集団の併存を可能としたのは、この地に住む人々の宗教的・文化的寛容性ではない。強力な王権がアラブ人を必要とし、彼らに対する攻撃や排斥を抑制していたからである。したがって、戦争や争乱の際には必ずといってよいほど、異文化集団に対する略奪や攻撃が行われている。

2012年12月2日日曜日

石岡浩ら「史料から見る中国法史」より



71頁より抜粋

前近代中国の国家権力は、民事的な権利である私権に関心を持ちませんでした。国家権力が関心を払ったのは、統治される人々に「○○をせよ」「○○をするな」という規範の遵守を、違反者への刑罰を裏付けとして義務づけることでした。裁判の目的は、統治のための規範に対する違反者に、刑罰権を行使することにありました。裁判制度を含む法制度全体が、統治のための規範の構造として形成されていました。前近代中国法は、私権とは無縁に構築された、義務の体系であったのです。

2012年7月30日月曜日

マッキンダー「デモクラシーの理想と現実」より



15頁より抜粋

まず最初にヴォルテールのような啓蒙家的な人物が登場する。彼のばあいはフランス国の政府という名で呼ばれた経営組織体の現状を批判するところから始める。そして次にルソーのような思想家が、より幸福な社会のありかたをえがきだす。それから大百科事典の著者たちが、そのような社会のための物的条件が存在することを立証する。やがて新しい考え方が、一部の善意な情熱家達の心をとらえるようになる。おしなべて彼らには、一般的な人間の生活上のしきたりを変えるというようなむずかしい仕事の経験が乏しい。が、そのうちにともかく、彼らはフランス社会の構造を変革するきっかけを手に入れることになる。結果として起こるのが、不本意ながらも、その進行の停滞である。やがて労働は中止され、現実に生産設備や政府機構の破壊が行われ、経験を積んだ管理者が馘になり、その後釜にはろくに仕事を知らない素人がすわる。そして、あげくのはてに生活必需品の生産はガタ落ちになり、最終的には物価が上昇して、社会的な信頼感の失墜や信用の崩壊が始まる、というのがおきまりのコースである。
当初、革命の指導者達は、その理想を達成するために、さしあたりの貧乏は覚悟の上だろう。しかしながら、彼らの周辺には何百万の飢えた大衆が群がっている。そこで時を稼ぐために、これらの大衆にたいしては、すでに権力を失ったこれまでの実力者達があれこれと妨害策を行っているせいで、このような欠乏が起こっているのだ、という疑惑の感情が植えつけられる。ここで必然的に発生するのが恐怖の支配である。とどのつまり一般の人間は宿命主義者となり、一切の理想を捨てて、ともかくも社会の能率を回復してくれる組織的な指導者の姿を追い求めるようになる。

2012年7月17日火曜日

エリック・ホッファー「魂の錬金術」より



27~28頁より抜粋

権力は腐敗するとしばしば言われる。しかし、弱さもまた腐敗することを知るのが、等しく重要であろう。権力は少数者を腐敗させるが、弱さは多数者を腐敗させる。憎悪、敵意、粗暴、不寛容、猜疑は、弱さの所産である。弱者の逆恨みの源泉は、彼らが被る不正ではなく、むしろ自分自身が無力で無能だという意識にある。弱者が憎むのは邪悪さではなく、弱さなのだ。その力さえあれば、弱者は手当たり次第に弱いものを破壊する。弱者が自分以上の弱者を餌食にするときの、あの酷薄さ! 弱者の自己嫌悪は、彼らの弱さへの憎悪を示す一例に過ぎない。

141頁より抜粋

異議申し立てをする少数者が幅を利かせる余地があってこそ、社会は自由であるという。しかし、実際に異議申し立てをする少数者が自由を感じるのは、自分たちの意見を多数者に強制するときだけである。彼らが最も嫌悪するのは、多数者の異議である。

2012年7月11日水曜日

ロバート・カプラン「インド洋圏が、世界を動かす」より



443頁より抜粋

結局アメリカは自国の軍隊を、陸に足を踏み入れてイスラム系の内部紛争に巻き込まれるような介入のための主な手段ではなく、近くの海上から津波やバングラデシュの例のような人道的緊急支援に備えつつ、ユーラシアの海洋システムの一部である中国、インドの両海軍と協力して行動する、海軍・空軍を中心とした「バランサー」と見なさなければならなくなるだろう。

2012年6月21日木曜日

イブン・アッティクタカー「アルファフリー」より



第1巻48頁より抜粋

王者らの学問は彼らのものの見方によって異なったものになる。ペルシアの王たちについて言えば、知恵、訓戒、文学、歴史、幾何学およびこれらに類するものであった。イスラームの王たちのそれは、文法学とか辞書学などの言語諸学、詩歌および歴史であった。そこで、文法的な間違いを犯すことは、イスラームの統治者たちの考えでは、最も嫌悪すべき統治者の欠点であるとみなされ、人の地位も彼らのもとにあっては、わずかひとつの逸話か、一行の詩かさらには一語の用い方で、しばしば引き上げられたものである。しかし、モンゴル人の王朝においては、これらの学問はすべて否定され、別の学問が盛んであった。つまり、経済学、王国の財政管理、歳入歳出の推算、心身を守るための医学、時を選ぶための占星術などがそれであった。それ以外の諸学や文学などは彼らのもとでは人気がなかった。

2012年6月7日木曜日

岡本隆司「ラザフォード・オルコック」



216頁より抜粋

「読書人・紳士」が一致団結すれば厖大な勢力であって、北京政府は無力に近い。その勢力は日本と同じく、「一撃」で破砕できるのか、といえば、それは無理だった。オルコックは日本の攘夷勢力が、民衆から遊離していることを見抜いていた。武力を行使しても、全面戦争にならないと踏んだのも、そこに大きな理由がある。それに比べ、中国の「読書人・紳士」は、打倒することも強制することもできない。かれらは民衆を掌握し、下層階級の無知と偏見にうったえ、「愛国」にかこつけてデマゴーグの役割を演じるからであった。しかもその社会は、日本と比較にならないほど巨大である。

238頁より抜粋(ラザフォード・オルコック自身の言葉)

中国の西洋化が最終的に、平和的な方向をとるよう期待したい。東西相互の利益と善意が増進する結果になるのか。それとも、中国が西洋諸国に敵対して自前の兵器で戦うためだけに、わが武力と文明のあらゆる物質的要素を急速にとりいれる結果に終わるのか。それは少なからず、西洋列強じしん、およびその日中に駐在する政治・通商の代表者にかかっている。