2012年5月22日火曜日

E・H・カー「ナショナリズムの発展」より



33頁~34頁より抜粋

「経済ナショナリズム」と国家の社会化を結ぶ絆は、すべての大工業国が一九一九年以後に決定的なまた運命的な政策―すなわち大規模な移民入国に対する国境の封鎖―をとったことのうちにはっきり現われた。十九世紀の中間階級政府は生産と利潤の増勢のために低廉かつ豊富な労働力が重要であることに気をとられていたから、いかなる政治的強制を加えられてもかれら自身の労働者の賃金水準や生活水準を優先的に考えることはなかった。そして五十年間、外国労働者の排除はあらゆる労働組織にとって見込みのない夢であった。それは、マルクスの第一インターナショナルにあってさえ先入観となっていた。ところがいまや、雇主および資本家の明白な利益に反して、ほとんど反対を受けることなしに、入国禁止が行われた。かくして十九世紀国際秩序の最も効果的かつ必要な安全弁の一つであり、進取的なまた不満を持った人々に向かって開かれていた逃げ道であったものは、ぴしゃりと閉ざされてしまった。国家相互の衝突の再発を不可避にしたことこれより大きな措置はなかった。新しい強大な労働勢力が本来的に排他的ナショナリズムの政策に向かう傾向を持つことをこれほどに明示した措置はなかった。一九三〇年代人道主義の圧力が外国避難民のイギリス入国許可を要求したとき、承諾が与えられたのは、かれらが「職業を求めない」という条件においてであった。イギリス国民は、国富の増大をたすけるべき生産的能力を持った人々ではなくして、その扶養が国富の負担となるような人を受け入れようとしたのである。