2012年6月21日木曜日

イブン・アッティクタカー「アルファフリー」より



第1巻48頁より抜粋

王者らの学問は彼らのものの見方によって異なったものになる。ペルシアの王たちについて言えば、知恵、訓戒、文学、歴史、幾何学およびこれらに類するものであった。イスラームの王たちのそれは、文法学とか辞書学などの言語諸学、詩歌および歴史であった。そこで、文法的な間違いを犯すことは、イスラームの統治者たちの考えでは、最も嫌悪すべき統治者の欠点であるとみなされ、人の地位も彼らのもとにあっては、わずかひとつの逸話か、一行の詩かさらには一語の用い方で、しばしば引き上げられたものである。しかし、モンゴル人の王朝においては、これらの学問はすべて否定され、別の学問が盛んであった。つまり、経済学、王国の財政管理、歳入歳出の推算、心身を守るための医学、時を選ぶための占星術などがそれであった。それ以外の諸学や文学などは彼らのもとでは人気がなかった。